7: 名無しさん
でっか
15: 名無しさん
セントライトの逸話
・現在三冠馬として唯一の500㎏越えの当時としては超大型馬
・いつもぬぼーとしてのんびりしていた
・レースになると闘争心むき出しにしてた
・横浜から府中に移動するとき他の馬が8時間の所9時間かかった
・普通の馬なら京都への2泊3日の度でヘロヘロになるのだがセントライトは普通に楽しんでた
・異常なほど回復速度が速く他の馬の倍ぐらい早く回復してた
・現在三冠馬として唯一の500㎏越えの当時としては超大型馬
・いつもぬぼーとしてのんびりしていた
・レースになると闘争心むき出しにしてた
・横浜から府中に移動するとき他の馬が8時間の所9時間かかった
・普通の馬なら京都への2泊3日の度でヘロヘロになるのだがセントライトは普通に楽しんでた
・異常なほど回復速度が速く他の馬の倍ぐらい早く回復してた
22: 名無しさん
>>15
だからおっとり巨乳なのもセントライト説を後押ししてたんだよな
だからおっとり巨乳なのもセントライト説を後押ししてたんだよな
32: 名無しさん
>>15
え昔の競馬って徒歩移動なの
え昔の競馬って徒歩移動なの
34: 名無しさん
>>32
馬運車なんて便利なものは昔はねぇ!
そもそもセントライト戦前の馬(1938年生まれ)だからな
馬運車なんて便利なものは昔はねぇ!
そもそもセントライト戦前の馬(1938年生まれ)だからな
36: 名無しさん
>>32
セントライトが三冠獲ったのは1941年だぞ
トラックが死ぬほど貴重だから当然馬運車なんてものはないし
京都への2泊3日も貨車に積まれた
セントライトが三冠獲ったのは1941年だぞ
トラックが死ぬほど貴重だから当然馬運車なんてものはないし
京都への2泊3日も貨車に積まれた
38: 名無しさん
>>36
人間でも消耗するのにおうまさんだとそりゃ精神やられるわ
人間でも消耗するのにおうまさんだとそりゃ精神やられるわ
43: 名無しさん
>>38
だがセントライトは違う
だがセントライトは違う
52: 名無しさん
>>43
頷くキンチェム
頷くキンチェム
50: 名無しさん
>>38
当時の貨物列車は本当に何時間かかるかわからないやつだからね…
当時の貨物列車は本当に何時間かかるかわからないやつだからね…
37: 名無しさん
因みにシンザンの頃も京都への輸送は列車とか使ってたので
三冠を取るためには精神的タフさが絶対条件だった
三冠を取るためには精神的タフさが絶対条件だった
39: 名無しさん
戦前なのかセントライト…
46: 名無しさん
>>39
因みに達成したのは以下の通り
1941年:セントライト
1964年:シンザン
1983年:ミスターシービー
1984年:シンボリルドルフ
1994年:ナリタブライアン
2005年:ディープインパクト
2011年:オルフェーヴル
2020年:コントレイル
この中で最も間が空いたのがセントライト→シンザンの25年
因みに達成したのは以下の通り
1941年:セントライト
1964年:シンザン
1983年:ミスターシービー
1984年:シンボリルドルフ
1994年:ナリタブライアン
2005年:ディープインパクト
2011年:オルフェーヴル
2020年:コントレイル
この中で最も間が空いたのがセントライト→シンザンの25年
57: 名無しさん
セントライトは三冠達成して次のレース斤量が72kgって言われて迷わず引退決断だからな
60: 名無しさん
>>57
というか秋に古馬混合戦で65㎏ぐらい背負って古馬を破ってます…
というか秋に古馬混合戦で65㎏ぐらい背負って古馬を破ってます…
62: 名無しさん
今じゃ60kgでも酷な斤量なのに…
67: 名無しさん
セントライトの斤量の歴史
新馬戦:55㎏1着
皐月賞:57㎏1着
3歳戦:58㎏1着
古馬混合ハンデキャップ:2着
古馬混合:61㎏1着
東京優駿:57㎏1着
古馬混合ハンデキャップ:66㎏3着
古馬混合:66㎏1着
古馬混合重賞:58㎏1着
古馬混合:68㎏2着
菊花賞:57㎏
引退
新馬戦:55㎏1着
皐月賞:57㎏1着
3歳戦:58㎏1着
古馬混合ハンデキャップ:2着
古馬混合:61㎏1着
東京優駿:57㎏1着
古馬混合ハンデキャップ:66㎏3着
古馬混合:66㎏1着
古馬混合重賞:58㎏1着
古馬混合:68㎏2着
菊花賞:57㎏
引退
61: 名無しさん
あと当時は三冠のあと出れるレースが今の天皇賞くらいしかなくて
それも一度勝ったら二度と走れないルールだしね
それも一度勝ったら二度と走れないルールだしね
69: 名無しさん
移動が過酷な昔の競馬って速さ以上に体力求められそう
1000: 名無しのトレーナー 2018/01/01(月) 00:00:00.00 ID:umamusume
タグ: セントライト 

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コメント一覧(126)
この斤量にはテンポイントもドン引き
ミカンは90kgの騎手(西郷従道)乗せて勝ったが、サラブレッドにはキツイからなぁ。蒙古馬(横綱乗せて走る)みたいな真似は出来ない。
セントライトのほんの3年前に牝馬のヒサトモが75kg背負ったり
戦後に弟のトサミドリが旧4歳で71kg背負ったりしてるからなぁ
あの時代は強けりゃ牝馬でも70kg以上背負わされる時代だからな
トキノミノルのライバルだったイツセイ、ミツハタは斤量70k背負ってレコード勝ちしてるから
トキノミノルの神格化に拍車をかけてる存在だなぁ
そこらへん大荷物担いだ農耕馬がウロウロしてる時代だし、区別ついてなかったかついてても意識引っ張られてたかじゃないかな
動物愛護精神も個人的にはあっても社会的には仕事道具良くて仕事仲間な時代だった
若すぎる80代
野沢雅子「だな!」
この人、半分くらい人外なんじゃないか?
まぁ、サイヤ人は人生の大半を若い時間が占めるから・・・
>・横浜から府中に移動するとき他の馬が8時間の所9時間かかった
徒歩だけにトホホというわけだ
テイオー「シンボリルドルフ」
スピードシンボリ「この度は孫が大変申し訳有りませんでした…」
移動中に故障発生とか多そう
平安時代は馬が安全に移動できる距離は16kmとしており、その区間ごとに馬の交代所が置かれて、それが「駅」の由来になった。
それから考えると、根岸競馬場から府中競馬場まで直線距離でも30kmあるためかなりの負担だったと想像される。
走ったら(速歩・駆歩)一度の移動限界はそんなものだからなぁ。でも馬は歩くだけ(常歩)なら一日中行ける。乗っている人間の方が遊牧民でも無い限り持たないが。
徒歩だけに筋肉痛でカッチカチになるだろうな
ワンチャン亡霊か何かって言っても納得出来る
プレイアブルになってくれえ!!!!!!!なんでもしますからあ!!!!、
なんでもと言ったな
ならばサイゲに入社しウマ娘開発に携わって内部から直接働きかけなさい
何か知らんけどマイナビでずっと募集出てんだよな
むしろ大人数規模の開発系で募集打ち切っている所の方が極一部の例外除いてお通夜なイメージなんだが
この市場で募集出してないところはヤバいぞ
任せたぞ>> 5!
太っちゃうことを「もっと愛らしくなってしまう」って表現するの好き
クイーンのアレが頭によぎるんだけど
愛されボディってやつですな。
カビゴン「ですね」
アイドルプロデューサーとしてはハイセイコーが好きなんだけど
個人としてはセントライトさんの声と肉体と性格がとても叡智で超大好きです
キンチェムは牝馬なのに76.5キロまで背負わされたからな。なお快勝している模様。
(ガチ)規格外のUMAを引き合いに出すのはルール違反っスよね?
ここで逸話を聞きすぎてすっかり好きになってしまったキンチェム
海外の伝説の馬も話に出てきてくれないかなあ…
香港では香港馬ウマ娘化実現に向けて盛り上がってると聞いたけど他の国も見たいよなあ
戦前に横文字の名前をつけるのハイカラやなぁ、てセントライト関連の記事見るたびに思う
戦中に敵性言語で検閲されんかったんかな?
いうて当たり前だけど海軍将校は英語必須だったし
実用上必須だったから大して取り締まりしてなかったとか
戦争行動に貢献しない処で軍人官憲の仕事を増やされて、迷惑してたそうだぞ
当たり前だけど敵だからこそ言語わかったほうが有利だもんね
敵性語排斥運動なんて、国策映画で(軍人に)皮肉ったジョーク言われてるくらいには「何やってんだこいつら…」と思われてたぞ
そもそも日本語化しようがない単語はそのまま使われてたし
敵性語排斥運動の件は当時の実情を知れば知る程「無能な味方は敵より恐ろしい」を地で行く有様で草枯れるんよ
某A新聞が勝手にやっただけ。士官どころか一介の主計兵だった私の曾祖父も英語は勉強していた。
WW2期間にアルバイトって言う皐月賞馬がいたからなぁ
アルバイトはドイツ語だからOKだったのか
初代皐月賞はロックパークで2代目はウアルドマイン(World Mine)
気にしてないこともなかろうけど、別に強制的に云々まではなかったのかも?
マスコミが主導した運動だからな
明治時代から横文字の馬名だらけだよ。
最初は横浜の外国人しか競馬やってなかったし、和風な名前つけると人名と紛らわしいという問題もあって大正時代には日本人も基本横文字を馬名にしてた。
大抵は輸入された父や母の名をそのままつけたり、ちょっと捻ってつけることが多かった。
あと有名馬が引退すると他の人がすぐに名前を使い回すから早い者勝ちだった。
セントライトがどれくらい昔の馬かというと
セントライト 1938年4月2日生まれ
野沢雅子 1936年10月25日生まれ
野沢雅子の2つ下
黒柳徹子 1933年8月9日生まれ
なるほど、5つも年下なんだな
セントライトさん、まだまだ若輩者だったか()
このコメントのおかげで時代背景の解像度が上がったわ
トットちゃんの時代に生まれ走っていたんだな
黒柳徹子「本日のゲストは日本初の三冠馬、セントライトさんです」
実際ハルウララとおしゃべりしようとした御方だから冗談に聞こえないという…
黒柳徹子は少女時代ジョッキー志望だったが当時女はなれない規則で
適わなかったそうなのでおそらくセントライトの現役時代も
見たことがあるのではないかと思われる
歴史がちょっと違って斉藤澄子が騎乗していたら、セントライトとシンザンの間に女性騎手・黒柳徹子が騎乗する三冠馬なんて可能性も?
おい比較対象ぉ!
シンザン 1961年4月2日
アストンカーチャン 1964年9月25日
ハイセイコー 1970年3月6日
丹下桜 1973年3月24日
アストンカーチャンは17歳なはずなのに何で…(棒)
シンザン-ミホシンザン-マイシンザンの声優は野沢雅子にやってもらわないとな!
セントライト
「え?皆もあるでしょう? 参勤交代」
ない。先祖は商人なので。
ワイ所はあったかも…曽祖父宅が某弱小藩の裏本陣だったって聞いた事がある;
ところで斤量ってどうやって決めてんですの?
日本では基本は57kg
牝だと-2kg、若手騎手だと-2kgだったり、ハンデ戦だと1つG1勝つと+2kgだったりする
レース毎に基準があるよ
1つは、馬齢つまり年齢
2つは、稼いできた賞金と勝ったレース
3つは、主催者が判定した実力差
武豊への斤量がすごいことになるな
畠山重忠みたいに馬一頭になってしまう。
フラッシュネオユニと組んで令和の三国同盟や!
次はイタ公抜き……じゃなく、ジャガイモ抜きで行こうぜ!
……実際、あの国(ジャガイモ国)ビスマルクが居なくなって以降、対外戦争の勝率0だからな……。
味方にしたら負けフラグぞ
途中までは良い感じに勝ってるんだけど終わって見たら負けてるのよな。
お隣の蛙食いはナポレオンでやらかした後はだいたい負けてるけど終わって見たら勝っている国になってるけど。
つまり同世代に負けたことがなく、ダービー前の時期に古馬に勝ったやべー戦績なんやな
同時代の競馬関係者のセントライト評
セントライトの方は、ちょっともそっとした感じで、みんなブランドソールの方がいいように見ていた
ずんぐりむっくりの大型戦車
ああいう馬は、玄人には買えない馬です
「馬ヅラ中の馬ヅラ」
「顔は長くて、ホント、馬みたい」
どこの姉貴の話かと……
私、脱いだら凄いんです💪
キンチェム「フランキーさんとナイチンゲールがいれば旅は楽しいんですよ」
旅の道連れ居ないとテコでも動かなかったウマさんだ
あと水にも結構厳しい
キンチェムの井戸ってのがあったはず(今は枯れ井戸)
戦前なのに500キロあって初代にして最大の三冠馬だからやり過ぎなくらい盛れるだけ盛っても良い
体がデカすぎたからレース出走すら危ぶまれたからな
肉体の負担とかでなく、ルールの制限が理由で
タフという言葉はセントライトの為にある
クモハタ「5月20日。デビューしました! 勝てました!
5月26日。2戦目です! …ちょっと間相手なさすぎない?
5月28日。ダービーです。え?ダービー?マジで? まぁ優勝しました!」
ここまで極端じゃないけどセントライトもダービー前って1週間毎に3戦してるんだね
当時は当たり前だったのかな?
クモハタ「チャラリー 鼻から豆乳♪」
当時は2日連闘3日連闘も普通にあった
クモハタも旧4歳秋開催で10月7日8日と2連闘してる
そもそも開催方式が今と違う、今の競艇とかと同じで開催期間中は連日レースがあって出れるものには出る
ラガービックワン「昔は大変だったんすねぇ」
太りやすすぎる体質のせいで連闘するしかなかったからキミはしゃーない
実際地方行って連闘しなくなったら600kg超えたし
セクレタリアト「それくらい出来ないと」
シアトルスルー「アメリカじゃ三冠は取れないぞ」
・・・過酷すぎないか、アメリカ三冠💧
セントライトが現役の時は武蔵野線も横浜競馬場があった根岸の近くの根岸線も無かった
中央線の国分寺から府中本町(の近くにあった東京競馬場駅)に行く競馬場線はあったかもしれないが
南武線はあったが国鉄JRでなく私鉄の南武鉄道だった
…と現在と路線が違うんだよな
国鉄路線は地方の私鉄を買い取った路線がかなりあって
同じ元国鉄なのに位置が近い駅でも連絡してなかったりする場所が結構あったんよね
地方で周りの路線が交流なのに1路線だけ直流とかなってるとわかりやすい
作るだけ作って国鉄に買い取ってもらおうと画策したけど
買われずにほっぽり出されて廃線なんてケースもチラホラあったりした
こういう本物の母性を感じるウマ娘を育成したかった…
クリークは少し違うんだよ
もっとお牝馬モデルから本物の母性を感じろ
???「ニシノフラワーは私のママだ!」
???「うわっ!(ドン引き)」
高校生に本物の母性を求めるな
皐月賞?菊花賞?存じませんね
三冠達成して淀の観客達から祝福を受けている写真好き
小岩井農場の解体で種牡馬として十分に活躍できる環境じゃなくなっちゃったのが優秀だっただけに残念
セントライトは1965年にあっちにいってる
シンザンが1964年に三冠達成
少々危なかった…
なお、馬主さんは空襲で亡くなってる
セントライトはシンザンの三冠達成を見届けてから旅立った。その後も次代の三冠馬が誕生する時は先代が(存命で)見届けるという奇妙なバトンが続いている
みんな割と長生きするもんね短命だったのほんとナリブくらいだし
ディープの時は先代はいなかったぞ
セントライトの主戦がミハルカスの調教師で外ラチに追いやっても尚突き抜けたシンザンを有馬後に讃えた話いいよね…
シンザンが消えた!!
一個前の三冠馬が存命なんじゃなくて、「誰かしら前の三冠馬」が存命、っていうのが正確なところやね
ディープのときはブライアンが亡くなっちゃってたけど代わりにルドルフが元気に過ごしてたね
ルドルフ長生きだな。30歳越え組か
ルドルフは2010年代まで元気に生きてたってあたり、なんかのバグみたいな馬よねぇ
いつからトレセン学園にいるかわからないゲームのルドルフはそれの再現だった?
セントライトの獲得賞金87400円今だと7~8億円ってところかな?
ちょっとググってみたら、セントライトが勝った年の物価はうどんが一杯で15銭くらい
マンモス西も食い放題でニッコリだな
ワイの年収とだいたい同じやん
まぁ伝説の部類に入るお馬さんだよな
実際に見たとか、記録、関係者も残ってないだろうし
📞ちゃんの次はクロワッサンが3冠馬に近い存在かな
実家が太すぎる
知ってはいたが改めてとんでもない名馬じゃのう・・
名馬にありがちだけど、回復が早いってのは、心臓が普通の馬よりでかかったんだろうな
クラシック三冠が戦前で「三栄冠」と呼んで、
横浜農林省賞典四歳呼馬(のちの皐月賞)
東京優駿競走(日本ダービー)
京都農林省賞典四歳呼馬(のちの菊花賞)
の時に勝った初代三冠馬
古の調教師さんの誰だったか言ってたけども、競馬史的には最初に馬運車導入したのは誰々っているんだけど、実はその前の1940年代に大久保房松先生(お兄様の師匠)がトラックの荷台に馬乗せて実験的に短距離移動を試みたが、車がどうの以前に道路の方がガッタガタ過ぎてかえって馬に悪そうでいつの間にかやめてたと
当時じゃよほどの市街地か幹線道路以外は未舗装だっただろうから、それはそうだろうなあと思ったけど道路側の事情というのはこれを聞くまで気づかなかった
よく考えたらそうだよな
当時は舗装してたとしてもすぐに轍が出来てでこぼこになっちゃう
昔東南アジアに旅行に行くとそういう道路が多くてバスがはねて天井に頭ぶつけたよ
たしかにアレに馬を乗せたら脚が逝っちゃうわ
24時間戦えますかな国民性だったんだなあ
まあ江戸時代にゃ一週間の概念自体無いから定休日の概念が無かった(ただし勤務時間は短い)所に当時の欧米の勤務時間持ち込んだからな
徒歩!?すごいな、東海道か
たまにバケモンの産まれる土地、岩手
当時は道路事情も車事情も色々アカンかったからしゃーない。
新シナリオ未だにやってないからよくわからないけど、セントライトは三冠ウマ娘の中じゃクセの無いというかまともな方なの?
某実況者さん(元某ロリ提督)が言った「セントライトが三冠を達成した数か月後に真珠湾」というといかに古いかが分かる
戦前ではないな、日中戦争が既に始まった後だ
馬の存在意義の一つが「物を運ぶ」だからな
馬運車なんて本来は本末転倒な存在なのだろうな
ウマ娘ちゃんクイズ!
セントライトさんが牛乳を差し入れるのはどっちつながり?
A:小岩井牧場
B:小岩井ことり
当時の主な長距離輸送の手段は、鉄道か船しかないわけで、それなら鉄道を使うわなあ
※高速道路の開通は1963年栗東~尼崎間